今更ながら自己紹介

今更ですが「お菓子なちあき」の自己紹介をしようと思います

HPの方のプロフィールをちゃんと書いてないので
まずココで書きまとめようかと思いまして
1981年 倶知安町の藤井菓子舗(お菓子のふじい)の2代目の次女として生まれる
  お菓子屋さんの娘らしく、食べ過ぎて小さな頃から肥満児
  小学校~高校時代はスキーに明け暮れ 中学~高校はバスケ部に所属
  根性と体力を身につけ、そもそも何をしても劣っていたので努力する事の大切さを学ぶ
  (肥満から脱するも筋肉質のがっちり体型へ(汗))
  勉強は全くできる方ではなく、授業中は先生の似顔絵を描いてまわして笑いを取ったり
  家ではイラストを描いたり、当時まだそれほど普及してなかったMacを買って
  勉強そっちのけで没頭。
1999年 地元の倶知安高校を卒業
  特に親に家を継げといわれた訳ではないし、お菓子も好きだったけど
  お菓子屋でない生き方をしたく、スポーツトレーナーを志し
  札幌の専門学校にいくも、「自分のやりたい事はやっぱりお菓子」だと気がつき
  半年で退学 スキーとバイトに没頭
2000年 東京の日本菓子専門学校に入学
  特に今まで気にしていなかった和菓子の素晴らしさに魅了され、和菓子を先攻し
  全国から集まるお菓子屋さんの跡継ぎや、素晴らしい仲間たちに出会う
  その傍ら、夏は神田にある某スキーショップでバイトをし
  冬は長野や新潟のスキー場で週末や長期休みは、スクールでバイト
  その時にスキー仲間から「なんでニセコの人間がココでスキーしてるの?!」
  っとよく驚かれ自分の住む町、ホームゲレンデは全国的にもとても素晴らしい事を
  初めて気がつく。
2002年 北海道千歳市 もりもとに入社
  北海道のいろんなお菓子屋さんを見て、一番イケテルと思った和菓子部もある
  もりもとに入社した傍ら、一年目はスキーを選手として続けるも
  自分には両立ができないと判断し、それまでの人生を捧げたスキーを引退
  23歳のとき「いつか」将来実家に帰る段取りをぼんやり考える中
  ある人と出会い将来について話してたとき
    「いつか、じゃなくて、できるやつは「いつまでにやるって言える」」
  っといわれ思わず「じゃあ26歳までに帰ります」っと宣言。 
  自分30歳になるまでの人生設計をして、必要だと思うもの
  後から後悔しないように、やれる事をピックアップ
  フードコーディネーター・カラーコーディネーターの資格を取り
  経営者の異業種交流会や勉強会に出席する。
  当店は和菓子も洋菓子もやっていたので、洋菓子の勉強のために
  部署を洋菓子に移動
2005年11月 もりもと を退社
  ちょうど、出店ラッシュで勢いのある会社で、社長の考えも
  素晴らしいと思っていたけれど、たくさんの学びを感謝しつつ円満退社
 
  大手と個人店は全く別物なので
  個人店を回ろうと思い、知り合いの尊敬すべき社長のいる
  苫小牧「ファームソレイユ」さんで3ヶ月間修行
  小樽の和菓子屋さん「六美」さんで1週間研修
  三重県にある伝説のウェディングレストラン「クロフネ」で1ヶ月 などなどで
  勉強させていただき。
  実家に戻る直前の1ヶ月間、全国のお菓子屋さんを長距離バスなどに乗り放浪の旅をする
2006年5月 実家である藤井菓子舗(お菓子のふじい)にもどる
2007年2月 もりもと時代の和菓子部の上司だった彼と結婚
     
2007年9月 店舗を一部改装し、黄色いオーブンちゃんを入れ
        焼きたてシューをスタート
   製品に対しても仕事に対しても厳しい目を持つ「イケメン和菓子職人」の夫が
   すべての製品を見直し、賞味期限から、作り方、管理の仕方をかえていき
   和菓子・洋菓子・売り方・見せ方など全部中途半端な「お菓子なちあき」が
   その他諸々を引き受け、夫と二人三脚で「必ず人を呼べる、いいお店にする」
   っという気持ちで突き進む
2008年後半あたりから、今まで皆無だった雑誌や
     テレビの取材依頼が少しづつ増えていく
  
2010年2月 長女を出産
   働き方や、お菓子に対する考えが変わっていき
   「ママと子供のおやつ研究家」になりたいし、特化していけるように
    努力を開始
2010年5月 3代目として、バトンを渡された代表になる
2010年7月 お店をリニューアル
   
こんな感じですかねー
まだたくさんかけるけど、又次回
もっとこのお店は変わっていけるし
もっと楽しいお店も作れるし
今、お店に対して、わくわくでいっぱいです☆
    

タイトルとURLをコピーしました