1950年創業 今年70周年のお菓子のふじいの歴史

旅館を買い取ってスタートした。

1950年8月25日 藤井菓子舗は、今の場所に開業した。
建物は旅館を買い取りお店にしたので、部屋数が多く、下宿してる人が多くいたらしい。

私の祖父が開業した経緯は、四国からひいじいちゃんの代で開拓で北海道に入り隣町の京極町のお豆腐屋さんの息子。甘いものが大好きで、今はもうないが、ふじいの二軒隣の「細野菓子店」で修行しに行った先のお子さんが12歳年下の女の子。まさか結婚することになるなんて思いもしなかったそうだが、それが私の祖母。(祖母方の母は佐渡から北海道に渡ってきたそうだ)

お菓子が好きすぎて総入れ歯

時は戦時中、祖父は体格がよく、戦争に行く予定が、お菓子の食べ過ぎで虫歯が多く、若くして総入れ歯になったため、戦争の徴兵はまぬがれた。
一緒に働いてた細野さんの息子は戦争に行ったため、戦争が終わるまで、祖母とお店を切り盛りしてたそうだ(すでにその頃には結婚してた)。

戦争が終わったタイミングで二軒隣の旅館を買い取り独立。それが1950年8月25日

祖父は和菓子・洋菓子・パン 何でも作り、店頭には仕入れたお菓子(駄菓子)も並び
今はもう販売してないが、「だんしゃくいも」は創業時がら作ってた人気商品だった。

多くの気づきをくれた祖父

祖父は私が小学校6年生の頃他界してしまったが
祖父の若い頃の話で印象深いのは戦中・戦後ものがない時代に、ご飯を食べるに困ってる人に振る舞い
バナナなどの新しくて、当時高価なものでも惜しげもなく人に渡して、とても人情深く
人望が厚い人だったということ。

なので、祖父にお世話になった人や繋がりのある人は、私にとっては頻繁に合うし、繋がりの深さで親類だと勘違いするような間柄の人も多い、さらに、その子供・孫同士で会えば「いとこ」や「はとこ」だと思ってたら、全くの他人で今更ながら驚くことも多い。

そんな祖父は50代(多分)心臓を患い60代には早々に引退し、父が後を継いだ。
ちなみに「いつ心臓が止まってもおかしくない」と医者に言われてたのに80過ぎまで生きて
最後は、私は小六の修学旅行から帰ってきた翌日、学校が休みで朝ごはんを家族で一緒に食べ、お昼ご飯を呼びに行ったらお部屋でお昼寝しながらそのまま息を引き取ってという、絵に描いたような大往生をした祖父。

時代は進んでどんどん変わってく

昭和54年に店頭を改築。
父は札幌の洋菓子店で修行をし、母と結婚。店頭では洋菓子・和菓子を扱っていた。

2006年に大手のお菓子屋さんで働いてた時の上司の和菓子職人のタカヨシさんと結婚し
実家に帰ってきた。

店頭の店構えもリニューアル

家族全員の反対を押し切って買った黄色のオーブン

今は店頭にないけれど

黄色のオーブンが好きすぎで、たまたま知り合ったイラストレーターの方に書いてもらった
オーブンちゃんは、今のふじいを支えてる。

今ではこのような外観になり

こんな社用車もある。

歴史を語り、それを財産にしていきたい

祖父の思いが熱すぎで(本当におじいちゃんっこだったんで)
最後はかなりざっくりとくくったけど、長い年月をやってるお菓子屋さんで、創業した祖父母もこの世にはいなく、歴史がある中で、文章や写真で残さないといけないなと。
それはお店のルーツであり、繋いできたもの。
創業した祖父にも思いがあり、それが繋がってきてる。
お菓子はツールであり、カタチは変わっても、私が先代の思いをつぐというよりは、それを踏まえて自分の色でどう表現するのか、もっと深く考えて行きたいです。

まとめ

創業70周年迎えたことはすごい。
過去と、今の支えてくださった人に感謝。
ここからさらに進化します!

タイトルとURLをコピーしました