カナリアップの建物が建って1年経過。2014〜2020年までの振り返り。化学物質過敏症との6年にわたるお付き合い。

北海道倶知安(くっちゃん)株式会社ふじ井 & お菓子のふじい & カナリアップ 
代表 藤井千晶です。

2019,8,1 カナリア寮がスタートし、工場は9月頃から稼働した。
もうあれから一年がたった。

最近、立て続けにカナリアップ関連で取材を受ける機会があって、
今だから言えることがたくさんあるなと思ったし、客観的に振り返って、
しみじみと、よく走り抜けたなと。
そして自分は、めちゃくちゃ諦めが悪く、見たい景色(自分の理想)を見にいく橋が壊れても、その橋を自分で作ってでも見に行こうとする根性は、褒めてあげたいなと思う。

そもそも、一人のためにやったこと。

そもそも、夫であるタカヨシさんと結婚するときに私が思っていたこと、
それは、彼は職人でありお菓子を作ることに力使ってもらい、
私は売ること・魅せること、経営をして「タカヨシさんの作るお菓子をお客様に提供したい!」
そして、お菓子やお店に「楽しい」「ほっこりする」のような世界観の付加価値をつけして、それを見たり食べたりする人の生活が彩られたらいいなと思っていた。

2014年あたりからタカヨシさんが化学物質過敏症と思われる症状が発生してから、
2017年までの悪化していく3年間。家族やスタッフ意外に誰かに相談することもなく、ネットで調べながら、毎日体調の悪くなるタカヨシさんを見ながら。観察→本人のヒアリング→対応→観察

きっと他者に相談しても理解してもらえないと思っていたのだけど、その当時、タカヨシさんの体調不良の原因は洗濯洗剤や柔軟剤と特定してたので、スタッフの自宅の洗濯洗剤を変えてもらうなどの協力が必要だったのだが、スタッフだってご家族がいる。
世間的に認知されていない病気で、働きにきてるスタッフは理解できても、ご家族に理解してもらうのは難しいと感じることが多く、それが理由で退職した方もいた。

そのときに、私の口から公表をして、直接思いを知ってもらった方が良いと思って書いた記事

この記事をきっかけに情報が集まり、状況が動いていった。

基本的に自営業だから仕事も家庭も一緒。

よく言われるのは「奥様の愛情が深かかったんですね」的なこと。
でもね、多分、彼がお菓子を作れなくなることは、お店を辞めることを意味してた
そして、彼からお菓子という仕事のツールがなくなることは、存在価値に関わることだった。

なので他者から見える家族愛的な感じで対応してたというよりは、今思えば一種の仕事と捉えて淡々と対応をしていたんだと思う。

工場が建った後、精神的に燃え尽きた。

去年は建物を建てるために、銀行と打ち合わせ、ものづくり補助金の書類作成、同時進行でカナリアさんたちの対応。お店の業務は普通通りに進むし、事業計画でいえばこのぐらいの売り上げをあげなければいけないという焦り。

お店の年商以上の借金をし、土地などは個人で購入したので個人としても借金をし
足りない部分をクラウドファンディングを行い資金調達を行った。

工場建った後も、いろんな処理に追われている中、電話に出ることも、メールを見ることも、人と会うことも嫌になってたし、朝は起きれないし、「今倒れて死んだら借りたお金はどうなるかなー、あまり迷惑かけたくないけど、もう何もしたくない。」なんて普通に考えていた。実はこの状況は今年の4月ごろまで続いていた。

コロナのおかげで、みなさんが困窮する中、そもそも困窮しかけてた私は、「みんなも大変な時期なんだ」っと今まで起きた崖っぷち想像したら、うまくシフトチェンジができるしれないと、大きく考え方を切り替えることができた。

本当は毎日怖かったと思うけど、その感情ですら見ないように生きていた。
でも、この間、会社経営をしてる親友や事業で多額の借金を背負ってる先輩経営者が「大丈夫」「なんとかなるよ」と声をかけてくれていて、こころの支えになっていたんだと今になって気がついた。(今頃で本当すみません!当時は言われても全然耳には入ってない状況)

そんなメンヘラ状況の社長についてきてくれたスタッフには感謝してるし、ニオイの排除するために奮闘してくれてた協力してくれた家族にも感謝。

結論としては建てて良かった。

上記のように大変さと葛藤はあったものの、彼のお菓子を継続し作れる環境を願い、建てた工場で
当の本人のタカヨシさんはお陰様で以前より症状も薄まり、普通に元気に働いている。

めっちゃいい顔してるなタカヨシさん

そして、現在カナリアップの建物の寮に関しては定員は4名のところ
化学物質過敏症のカナリアスタッフは現在3名が全国が入居中(2020.8現在)

一定期間住んで退社した方は2名、試用期間で住んだが入寮しなかった方は2名、今でも月に数件は就労の問い合わせは来ますが、一般の雇用で行ってるために就労支援が必要な方はお断りしています。また、化学物質過敏症の場合、ほかにも過敏症状を抱えてるケースが私が話した中では多かったので、他の過敏症状や精神疾患・発達障害、持病がある場合なども程度によりお断りをしています。

就労と住むという二つのことを同時にするので、人としての相性もある上、化学物質過敏症と言っても、症状がすぐ出る人、夜になったら出る人、体が痒くなるや倦怠感、反応する物質も症状の出方もかなり人によって異なるので、正直驚くことが多いながらも、俯瞰して分析して対応するようなことが多い。やってから気がつくことばかり。住んで・働いてる人たちが必ずしもベストな状況とは言えないし、多くの問題はあるにせよ、他で働くことができなかった就労困難状況の方々が働けてるというモデルケースにはなっている。

化学物質過敏症の症状は消えるのか?

2014年から化学物質過敏症を発症したタカヨシさんを見ながら「なんとかこの病気を治したい」と悪化の一途を辿ってる2018年のカナリアップの1回目のクラウドファンディングを行うぐらいまで思っていた。
なぜなら、化学物質過敏症の関連の記事などをネットで探しても最悪のケースの、外に全く出れなく、食べるものも、住む場所も、社会的生活との断裂。
読むだけでも、げっそりする暗い内容が多い上に、改善事例的な記事はかなり少ない事実。

そんな中、たまたまネットで共通の知り合いがいた分子栄養学カウンセラーのまごめじゅんさんにタカヨシさんの血液検査の結果を見てもらい、アドバイスをいただこうと個別カウンセリングをZOOMで申し込み、パソコンの画面越しで言われた衝撃なことは「まず千晶さんが体調整えましょう、そんなアドレナリンでまくってたら、旦那さんの病気は良くなりませんよ」

家族として接してる私にも問題があるんだという自覚を持った。その時まで、彼が悪化するストーリーしか頭になかったし、彼自身も同じだったので、それを気がついて彼に何気に聞いてみた。

カナリアップの工場できて体調が良くなったら面白いよね

それを言って彼の反応は「俺が治ったらカナリアップ困るんじゃない?

この言葉がを聞いて「まじか!この人の頭の中で改善するストーリがない&治す気ない!!」と衝撃を受けた。口では、「なんで俺だけこんな目に。治りたいのに。。。」と言ってるけど
不意に出た一言がに隠された、本人の無自覚の本来の声が出た瞬間だった。

私「いやいや、カナリアップの工場が建って体調が改善したら、物凄い価値だよー

彼「そっか!確かにそうだよね

漢方・栄養療法・よくわからない健康器具・自分が調べたり、人のアドバイスで思いつくありとあらゆる手を尽くし、時に貯金を切り崩し、散財してたけど
「よくなることを想像させる」そして、身近にいる人が本当に「よくなることを信じる」というお金のかからない、きっかけを作ったこの時から、明らかに体調が改善していった。

もう一つは、この改善を機に「病気を治す」という観念を手放した「共存して緩和したらいいな」ぐらいに構えるようになったことで、私が必死に対処すればするほど、彼は無意識に抵抗してたんだ気がついた。(だって無自覚に治りたくないんだもん。そりゃ無自覚で抵抗するよね)

私の見解としては、化学物質過敏症を治そうとすればするほど、悪化をしていき、自分で折り合いをつけ共存していくことを決めていけば、消えることも十分ありうるなと。

ニオイや化学物質の要因で体調不良になる事実があり、化学物質過敏症という病気として分類されるけれども、その程度や状況には心理的要因がかなり色濃く反映されると感じてる。
それは本人が折り合いつけない限り、周りはきっかけしか与えれないので、「このニオイのせいで具合悪くなる!このニオイをつけてるあいつが悪い!」と思うのは理解できるのだけど、そもそも体調不良のニオイの原因と人物は分離して考えないといけない。じゃないと被害者と加害者を産んでしまう↓


患者だけじゃなく家族であっても、病気の事で誰かを責めたり・体調の悪い自分や・体調を悪くさせて申し訳ない・などと自分を責めたい気持ちはわかります。
私はそれをずっとし続けていたから。
でも、患者になった当事者も、近くで見守る方も「そもそも、なんのために具合が悪くなったんだろうと」ゆっくり・冷静に考える時間を持つことは、自分との対話なので、お金もかからず、誰も傷つけるわけではないのでやってみる価値はあると思う。

ある本で「医療が登場してから、人間の治癒力は低下した」と書いてるのを見て府に落ちた。
本来人間は治癒力があるのに、誰かが助けてくれる、治してくれる、この人が言ったものだから体にいい、など自分の声を無視して他者に頼るからだ。自分で考え、選択肢て、行ったことに自分で責任を取れたら状況は変わってくのではないかと思う。

2014年からの6年間がなんのためにあったのか。

死にたいぐらいの絶望と、人の体の凄さと、心理的要因と体との因果関係、化学物質過敏症を知ること、お金を動かすこと、人の信用、奇跡的な出会いと、自分が本当にやりたい店作りの本質、これからの展望の再構築。

ざっと書いたけど。簡単に言えば人生における振り幅をずいぶん広げた感じ。
この6年間と、コロナの影響も踏まえ「自分がなんのために生きるのか」今しっかり考え直せよと
未来の自分が言ってる気がする。

今まで起きたことは全てかけがえのない財産であり、化学物質過敏症にタカヨシさんが発症しなければ獲れなかったことが沢山あるから、結果オーライだなと思ってます。

着地が微妙だけど、今の自分はそう感じてます。
そして、ここからが本当のスタートだなと。
いつも応援しくださったり、見守ってくれてる方々本当にありがとうございます

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