はじめて父を尊敬した

お菓子のふじい 藤井ちあきです

あんたはずっと反抗期だよ っと言われた 34歳おかしなちあきです

 

お店の後を継ぐということ

わたしはお菓子屋に生まれ

お菓子屋で生まれ育ち

お菓子屋になると思ってたけど

高校生の時に、スポーツトレーナーになりたいという夢を

一瞬持ってスポーツの専門学校行ったけど

結局お菓子専門学校に行くことにした。

 

なぜ、結局お菓子作りかというと

実家から離れお菓子とは全く切り離れた環境に行った時

お菓子を作ったら、とってもみんなに喜ばれたから。

実家にいた時はお菓子屋であることで

お菓子が上手に作れることは当たり前、材料だって揃ってる
困ったら親に手伝って貰えばいい。

結局、自分の力でお菓子を作っていたわけではなかったので

そこにありがたみなんて、全く感じていなかったのだ

この道に入ったら、後戻りはできない

2年制の東京のお菓子の専門学校に行き

2年生の時、和菓子と洋菓子のコースに分かれていて

和菓子に進んだ

洋菓子では9割女子、和菓子では男女半々

男子はほとんど実家がお菓子屋の後継

女子でも数名が後継でその後継の仲間は

*とりあえず実家がお菓子屋だから
*親に行けと言われたから
*カクゴをもって実家を継ぐと決めた

っという分類に分かれていたと思う

この中のカクゴをもってきてる人は目が違っていた。

その後、とりあえず北海道・千歳にあるお菓子屋さんに就職

 

ある時に、ある人に「いつか実家に帰ろうと思うんです」って言ったら

「本当にやる人間は、「いつ」って言えるんだよ!」って言われた時に

「じゃあ26歳までに帰るます」っと22歳の時に言ったことをきっかけに

一生お菓子屋になるカクゴを決めた

「やらされてる」のか、「やりたいと」っとおもったのか?

それから、月日が流れていく中で

後継という感覚の中で「自分がこの道を選んだ」っという自覚が芽生え

25歳の時、そのまま実家に帰った。

 

最初は父親とケンカばかり、

父の作ったお菓子に対して文句を言った日々

何か新しいことをやれば、逆にいちいち文句を言われる

ブログを書けば「なんで、そんなものやるんだ」と言われる

 

でも、時間をかけ、夫のおかげもあり実績を上げ、

文句を言われることは徐々に減っていった

今では、一切口をはさまなくなった。

 

その間たぶん、母や父は大変だったと思うし

今でも大変だと思うけど

何も言われないことで責任の重さを感じている

 

先日たまたま行われた父と同席になった会議の場

私は思ったことを発言し、激論になったが

父は一切口を挟まなかった

 

はじめて、父がすごいなと思ったし

信用されてると思ったし

自分の父親でよかった、

歳をとった時

父のように若い人にちゃんと道を譲れる人になろうと思った

孫の面倒を見る父

孫の面倒を見る父

今日この頃でした

 

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